旅が深まる台湾の歴史🌏【本当に親日??】

おはようございます、RENです!
この記事をご覧いただきありがとうございます♪
今回は、台湾の歴史について触れていきたいと思います。
是非最後までご覧ください♪

台湾を旅していると、多くの人が肌で感じること。
それは、現地の人々が向けてくれる、驚くほど自然で、温かい眼差しです😊。
僕たちが日本人だと分かると、日本語で話しかけてくれたり、より一層親切にしてくれたり…
その度に、心がじんわりと温かくなりますよね。🌻

↑話しかけられた実体験あります✨

でも、ふと疑問に思いませんか?
「どうして、台湾の人々はこんなにも日本に親しみを持ってくれているんだろう?」

その答えは、台湾が歩んできた、複雑で、幾重にも文化が重なり合った
「歴史」の中に隠されています。
それは、決して単純な物語ではありません。光もあれば、影もある。
この記事では、そんな台湾のリアルな歴史を、特に「日本との深い関わり」
に焦点を当てながら、じっくりと紐解いていきたいと思います。

この物語を知れば、あなたの次の台湾旅行は、ただの観光ではない、
もっと味わい深いものになるはずです。

遥かなる始まり:原住民の時代と大航海時代 🌏

台湾の歴史の最初の主役は、マレー・ポリネシア語族にルーツを持つ、多様な原住民族の人々
でした。彼らは、何千年もの間、この豊かな島で自然と共に暮らしてきました。

16世紀になると、ヨーロッパの大航海時代が到来。ポルトガルの船乗りが、
緑豊かなこの島を見て「Ilha Formosa!(イーリャ・フォルモーザ / 美麗島)」
と叫んだのは、あまりにも有名な話です。
17世紀には、オランダが南部を、スペインが北部をそれぞれ拠点とし、
台湾は世界の舞台に登場します。

日本の血を引く英雄と、漢民族の到来 📜

そんな中、台湾の歴史を大きく動かす一人の英雄が現れます。
その名は、鄭成功(ていせいこう)
彼は、明王朝の復興を掲げ、オランダの勢力を台湾から一掃しました。
実はこの鄭成功、父親は中国人ですが、母親は日本の田川マツという女性。つまり、彼は日本の血を引いていたんです。この頃から、台湾と日本の間には、浅からぬ縁があったのですね。
彼と共に、多くの漢民族が中国大陸から台湾へ渡り、本格的な漢民族社会の基礎が築かれました。

その後、台湾は中国大陸の清王朝の統治下に入ります。しかし、大陸から遠い台湾は
「化外の地(けがいのち)」と見なされ、統治はあまり積極的ではありませんでした。

運命が交差する「日本統治時代」という光と影 (1895-1945)

台湾と日本の関係が、最も濃密になった50年間です。
1895年、日清戦争に勝利した日本は、下関条約によって台湾を譲り受けます。
この50年間は、今の台湾の姿を語る上で絶対に避けては通れない、非常に重要な時代。
そして、単純な「良かった」「悪かった」では語れない、「光」と「影」の両面を持っています。

「光」の部分:近代化の礎 🏗️

日本は、台湾を近代的な国家の一部とするため、莫大な投資を行い、
インフラ整備を推し進めました。

  • 鉄道網の整備: 台湾を縦断する鉄道が敷かれ、人々の移動と物流が劇的に改善しました。
  • 衛生環境の改善: 上下水道を整備し、マラリアなどの伝染病を撲滅。
    台湾の人々の平均寿命は大きく延びました。
  • 教育の普及: 小学校が各地に作られ、識字率が向上しました。
  • 建築物: 今も台北で総統府として使われている建物や、旧台中駅など、
    当時の日本の技術の粋を集めた美しい建築物が、今も現役で大切に使われています。

これらは紛れもなく、後の台湾の発展の大きな土台となりました。

「影」の部分:支配と葛藤 💔

一方で、これは紛れもなく「植民地支配」でした。
統治初期には、日本の支配に抵抗する多くの人々が犠牲になりました。
また、戦争が近づくにつれて、台湾の人々に日本語の使用を強制し、
日本の神道を崇拝させる「皇民化運動(こうみんかうんどう)」が進められました。
自分たちの文化や言葉を抑えつけられた人々の心の痛みや葛藤は、
計り知れないものがあったはずです。

この50年間は、近代化という「功」と、植民地支配という「罪」が複雑に絡み合った、
非常に多面的な時代だったのです。

戦後の激動と、新たな台湾の始まり 🇹🇼

1945年、日本の敗戦により、台湾は中華民国(国民党政府)に編入されます。
しかし、台湾の人々を待っていたのは、平穏な日々ではありませんでした。
大陸から来た国民党の役人による腐敗や弾圧は、台湾の人々の不満を増大させ、

1947年には、後の台湾の歴史に暗い影を落とす「二・二八事件」という
悲劇的な弾圧事件が起こります。
その後、中国大陸の内戦に敗れた蒋介石率いる国民党政府が、
約200万人の人々と共に台湾へ移り、長い戒厳令(かいげんれい)の時代が始まりました。

奇跡の友好関係へ 🤝🥰

戒厳令が解かれ、台湾が民主化へ道を歩み始めると、日本との関係も新たなステージに入ります。
公式な国交はないけれど、民間レベルでの交流はどんどん深まっていきました。

  • 経済的な結びつき: 日本の企業が多く台湾に進出し、技術協力などを通じて、
    台湾の経済発展を支えました。
  • 文化の交流: 日本のJ-POPやアニメ、ドラマは台湾の若者の心を掴み、
    台湾からは多くの素晴らしい映画や音楽が日本に届けられました。
  • 災害時の助け合い: 1999年の台湾大地震、そして2011年の東日本大震災。
    お互いが最も困難な時に、まるで自分のことのように心を痛め、
    多額の義援金を送り合った事実は、両国の人々の心に深く刻まれました💯

実際の現地の人の考え方と僕の体感

僕の彼女や、台湾人の友人から聞いた話によると、

  • 基本的には親日の人が多い
    (アニメやドラマ・TV番組)などの人気が強く、好意的
  • 親日じゃない人もいる
    歴史を振り返ってみると、納得も出来ます。

ってところだと思います。
実際には、夜市で50歳くらいの人に「日本人?」と話しかけられたり、お店で話しかけられたり
ってこともあります。嫌な顔をされたことはないので、差別のようなものは少ないかと思います。
※でも日本人は浮気するってイメージも多いみたいです(笑)

深く考えずに、笑顔で人と接することが大切かと思いますよ⭐

さいごに

台湾の歴史は、まるで美しい地層のように、原住民文化、オランダ・スペイン、漢民族、
そして日本の文化が、幾重にも積み重なってできています。
そして、その複雑な歴史を乗り越えてきたからこそ、今の台湾の人々は、
多様な文化を受け入れる懐の深さと、誰にでも優しい温かさを持っているのかもしれません。

僕たちが台湾で感じる、あの居心地の良さ。
それは、歴史という名の、目には見えない太い絆で、僕たちと台湾が結ばれているからなのかもしれませんね。

最後までご覧いただき、ありがとうございます!

タイトルとURLをコピーしました